SriChinmoy.org
ja More about Sri Chinmoy
x

あなたの魂は特別な使命を担っているか

あなたの魂は特別な使命を担っています。あなたの魂は最高にそのことを意識しています。

Maya 、幻想あるいは忘れっぽさは、自分が有限で弱々しく無力であるとあなたに感じさせます。これは真実ではありません。あなたは肉体ではないのです。感覚でもありません。マインドでもありません。これらはすべて、限界のあることです。あなたは限りない魂なのです。あなたの魂は無限の力を秘めています。あなたの魂は時間と空間をまったく寄せつけません。

あなたは、あなたの魂を実現できますか。あなたの魂を十分に意識し、魂とひとつになることができますか。確実にできます。事実、あなたは魂以外の何ものでもないのですから。意識の自然な状態を表わしているのは、あなたの魂なのです。しかし疑いが、魂を実現することを困難にします。疑いは外的な世界における人間の実りなき苦闘です。熱望は内的な世界における求道者の実りある確信です。疑いはもがき苦闘します。最後には、それ自身の目的を打ち砕きます。熱望は最も高いところまで飛んで行きます。その旅の終わりには、目的に辿り着きます。疑いは外的な観察が基礎にあります。熱望は内的な経験の上に成り立っています。疑いは限りある肉体的なマインドに住んでいるため、失敗に終わります。熱望はいつまでも昇り続ける魂に住んでいるので、成功に至るのです。熱望の生活は平和という生活です。熱望の生活は至福の生活です。熱望の生活は神聖な充実の生活です。

あなたの特別な使命が何であるかを知るためには、深く内へと進む必要があります。希望と勇気があなたの疲れ知らずの旅に同行しなければなりません。希望はあなたの内的な神聖さを目覚めさせます。勇気はあなたの内的な神聖さを花にします。希望はあなたを鼓舞し、超越の夢をみさせます。勇気はあなたを鼓舞し、この地上での超越を明示します。

あなたの特別な使命が何であるかを感じるためには、常に生み出していくことが必要です。あなた自身のこの創造は、あなたが究極的になるところの何かです。ついには、あなたの創造があなた自身の啓示以外の何ものでもないことを実感することになります。

確かに、存在する魂の数だけたくさんの使命が存在します。しかし、すべての使命は、魂がなにがしかの完璧さを達成した後にのみ満たされるのです。世界とは神聖な遊びです。参加者は各々首尾よく進むために、ある役割を担っています。使用人の役割は雇い主の役割と同じくらい重要です。個々人の役割の完璧さのなかに、集団の充実があります。そして同時に、個人が世界中の全人類と分かちがたいつながりを作り上げ一体化を実現するとき、個人の充実は完全になります。

足の裏から頭の先まで、あなたはひとつです。にもかかわらず、ある部位は耳と呼ばれ、ある部位は眼と称されます。身体のそれぞれの部位には、それぞれの名前がついています。とても奇妙なことに、それらはすべてひとつの身体の部分であるのですが、一つの部分が他の部分の行為を行うことはできません。眼は見ますが、聞くことはできません。耳は聞きますが、見ることはできません。ですから、身体はひとつでありながらたくさんなのです。同じように、神はひとつでありながらたくさんの形を通して顕現するのです。

神は、わたしたちに使命を告げます。しかし、わたしたちは神の言葉が分からないので、神は神ご自身の翻訳者になる必要があります。他の人がわたしたちに神について語るとき、神が何であるかを十分に伝えることはできません。かれらは誤った表現をし、わたしたちは誤った理解をします。神は沈黙の内に話します。また、神のメッセージは沈黙の内に翻訳されます。ですから、わたしたちは沈黙の内に耳を傾けて、神を理解しましょう。

あなたの魂に特別の使命はあるのでしょうか。その通りです。あなたの使命はあなたの心の最奥にあり、それを手に入れそこで満たさなければなりません。外の世界であなたの使命を満たす方法はありません。鹿の麝香は、自分の体に生じています。鹿はその匂いに魅せられて、匂いを発している素を見つけようとします。その素を見つけようと走りに走りますが、見つけることはできません。いつまでも探し続けて、エネルギーをすべて使い果たし、ついには死に絶えます。けれども、それほど死にものぐるいで探し続けた素は、かれ自身にあったのです。どうして自分以外の他のところに見つけだすことができたでしょう。

このことが、あなたにもあてはまります。あなたの特別な使命――あなたの神々しさの充実――は、あなたの外部にはなく、あなたの内にあるのです。内側を探しなさい。内へ冥想しなさい。そして、あなたは自分の使命を発見するでしょう。

 

 

  Love

 

魂をこめて命令をする愛、無条件に服従する愛

それは寸分たがわぬ至高なるものの

至福を喜ばせるもの